船岡山観音院慈眼寺




歴史

新義真言宗智山派、船岡山観音院慈眼寺は、寺伝によれば、天武天皇の白鳳年間薩明大徳によって、国家鎮護の道場として創建されたといわれている。また船岡観音堂の本尊、聖観世音御菩薩は、大同年中たまたま教えを弘めにこの地にやってこられた弘法大師が、衆生済度を念じて、一刀三礼、これを彫刻したものと伝えられている。それからのちは、おいおいに堂塔伽濫も整備し後年、 船岡山観音院慈眼寺と称するようになり、代々高く法燈を掲げて、今日に至っている。
 元禄4年(1691年)には、本尊を江戸に奉じて、出開張したところ、参拝の善男善女が押しかけて引きも切らず、ついに開帳法会を行うこと、60日に及んだという。この盛んな評判を聞き、ときの五代将軍徳川綱吉も、わざわざ参詣して、供養料に和歌一首を書いた扇子を添えて奉納した。この扇子は、いまも寺宝としてこの寺に残っている。
 同寺所蔵の戊辰史料の主なるものを挙げれば、岩村軍監越後出向太政官辞令、同上叙位辞令、同上自伝草稿、同書幅、同佩刀、河井総督写真、山県、黒田の書簡、小千谷附近の合戦図、分捕品大鍋など。
 昭和41年(1966年)11月から43年(1968年)5月まで、毎日新聞に掲載された司馬遼太郎氏の小説『峠』は、河井継之助を主人公としたもので、この小説のおかげで河井継之助という人物が全国に知れ渡るようになった。司馬遼太郎氏は40年(1965年)8月に取材のため当寺を訪れている。
 小千谷幼稚園は、63代船岡芳快が昭和9年(1934年)に開園。第二次大戦のために閉園したものを64代船岡芳秀が、昭和31年に再開したものである。


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